お笑い芸人のナイツから「おぼん・こぼん師匠は不仲」という話を聞くことはあってもそれを目の当たりにする事がなかったので、実際にはどんなものなのかよくわかっていなかったのですが、水曜日のダウンタウンを見てみて「なかなかのもんだなぁ…」と言うのが正直な感想でした。
水曜日のダウンタウンのおぼん・こぼん師匠の企画を見ていない人もいるかもしれないので簡単に説明するとおぼん・こぼん師匠は共に大阪出身で高校の同級生で組んだ漫才コンビです。
2人は大変仲の良いコンビでお互いに結婚して家庭をもつと家族同士で温泉へ行ったりしていたそうですが、10年前のある出来事をきっかけに不仲になってしまったそうです。
おぼん・こぼんを不仲にした出来事
おぼん・こぼん師匠は漫才協会に所属しており、現在も浅草の東洋館で舞台に立たれていますが、その漫才協会の理事を決める際に協会員の投票で決まるそうなんですね。
投票結果の上位13名が理事になるそうなのですが、10年前の投票結果がこぼん師匠の次がおぼん師匠と言う順番だったそうです。
それまではおぼん師匠の票がこぼん師匠の票よりも倍くらい多かったそうなのですが、その年に初めてこぼん師匠の票がおぼん師匠の票を上回ったそうなんです。
その結果を受けて、おぼん師匠が大激怒。
当時、おぼん師匠は漫才協会の発展のために特に色々と奔走していた事もあって
「票が入らない=評価されていない」
そんな風に感じてしまったそうなんですね。
そして「どうしてこぼんより俺の票が少ないだ!こぼんなんてみんなに弁当の差し入れくらいしかしていないのにおかしい!ロビー活動や!!」とこぼん師匠にやりきれない気持ちをぶつけたそうなんです。その後、おぼん師匠は一年間、漫才協会に現れなかったそうです。
こぼん師匠よりも票が少なかったとはいえ上位13名に選出されたことに変わりはないのにその責任を放棄したことにこぼん師匠が怒り、不仲が10年以上続いている、とのことなんですね。
素直になれない大人たち
水曜日のダウンタウンの企画でなんとか不仲を解消させようと試みたものの1回目と2回目は失敗に終わり、不仲をより強固なものにさせてしまっていました。
私は、高校の同級生と言うこともあり、変にどちらかが大人な対応をすることはその場では不仲が解消されたとしても、コンビとしての距離をもっと離すことになるかもしれないと懸念していたのかな…と思いました。
嫌いと言うことは相手に関心があるから出てくる感情ですが、どちらかが大人の対応をして不仲を解消したとすると好きでもない・嫌いでもない仕事相手になってしまって仕事上でうまく付き合えればそれ以外はどうでもいい、つまり無関心になることだと思うんですよね。
漫才のことには詳しくないので恐らくですが、その無関心は2人の息を合わせて行う漫才では致命的な欠点になってしまうのではないかと思います。
どちらも漫才が好きで55年間も一緒に漫才を続けてきていて、お互いがお互い以外の相方は考えられないと思っているけど、一緒にやってきたからこそ相手に弱みを見せたくないという気持ちも少なからずあったのではないかと思います。
不仲の目的は?
アドラー心理学では全ての行動は目的があると言われています。つまり、おぼん・こぼん師匠の不仲も目的があって行われていたと考えられます。
ただ、私は漫才はテレビで見るくらいでほとんど縁もゆかりもないので、全て推測ですが、水曜日のダウンタウンの番組内で知り得た情報で考えていきたいと思います。
私はお笑い芸人の中でさまぁ~ずが好きなのですが、さまぁ~ずのお二人それぞれがインタビューに回答する時にはそれぞれが相方はお互い以外にはいないと言い、友達でもありライバルでもあるという事を言っているので、この点がおぼん・こぼん師匠と似ていますよね。
さまぁ~ずの場合は現在までライバル=好敵手なんだと思うのですが、おぼん・こぼん師匠はライバルの認識がいつの間にか”好”の部分が取れて敵になってしまったのではないかと思います。
おそらく公に知られている不仲の原因となった漫才協会の理事選挙以前に何か好敵手から敵へと変化したきっかけがあったのだと思いますが、それは私には分かりませんし、もしかしたら本人たちさえ分からないかもしれません。
ただ敵と認識している相手に対して権力争いを始める事はおかしなことではありませんし、権力争いを始める時には「居場所」を求めている事が多いと思います。
コンビの中で優劣を求めて、かけがいのない私の居場所を見つけたかったのではないでしょうか。
だからこそ、さまぁ~ずの大竹さんが「おぼん・こぼん師匠の事は誰にでも起こりうること」と言っていたのだと思います。
関係は悪化の一途をたどる
水曜日のダウンタウンのおぼん・こぼん師匠シリーズを見ていて、おぼん師匠のあるセリフから既に復讐の段階に入っているのかもしれないなと思いました。
アドラー心理学では問題行動の5段階という考えがあり、権力争いは第3段階、そして復讐は第4段階と言われています。
問題行動の第4段階の「復讐」は第3段階の「権力争い」よりもエスカレートした段階と言われていて、私はおぼん師匠が「俺に謝れ」とこぼん師匠に言っていた事から第4段階に入ってしまっているのではないか?と思いました。
私はアドラー心理学を学んでいる段階なので、もしかしたら大げさに捉えすぎているかもしれませんが、なかなか人に対して「自分に謝れ!」って言わないと思うんですよね。
人は謝罪の気持ちがあれば命令されなくても謝罪の言葉が無意識に出てきてしまうと思います。あと気になる点はおぼん師匠は怒っている理由をこぼん師匠に説明していない様なんですよね。
それはおぼん師匠の「なんで俺が怒っているかわかるか?」という言葉からも見て取れます。
その状態で「謝れ!」と言われたからと謝れる人はアドラー心理学の縦の関係を築いているとも考えられると思います。自分よりも上の人から理不尽な命令をされたとしてもそれに従う、つまりこの人もまた居場所を見つける為に問題行動をとっている事になるのです。
ですが、こぼん師匠はそれをしていませんでした。
だからこそ不仲が続いていたのだと思いますし、全く会話が無かったと言う事なので、話し合いが出来なかったのだと思いますが、なかなか取り付く島もない状態だったのがよくわかります。
不仲の状態が長くなれば長くなるほど、周りから助け舟が出てもそれに乗れずに関係が悪化の一途をたどってしまったのだと思いますが、それでも恩恵を受ける事があったから止められなかった部分もあったのではないでしょうか。
不仲の恩恵
そもそも不仲はおぼん師匠が自分の居場所を見つける為に行った権力争いがきっかけだったのではないか?と私は思います。
そして不仲の状態が10年間も続くとなると途中で別の目的が生まれたと考えるのが自然なのではないかとも思います。
つまり、不仲である事で難かしらの恩恵をおぼん・こぼん師匠のお二人ともが受けられていたのではないでしょうか。
不仲で得た恩恵を考えてみた
- 周りの人たちから「あんなに仲の良かったコンビが現在は相方と不仲」と言う事で注目を得られる
- ナイツなど後輩芸人にネタにしてもらうことでテレビにコンビ名と写真が出て間接的にでもメディア露出が増える
- 水曜日のダウンタウンの様に人気番組での企画をしてもらう事で劇場に足を運んでくれるお客さんが増え、また自分たちに関心を持ってくれる人たちが増える
不仲で得た恩恵は「周りからの注目」です。
理由は何であれ周りから一目置かれる存在になっていたわけですよね。
おぼん・こぼん師匠は芸歴が55年と半世紀以上にもなる為、芸歴を重ねれば重ねるほどおぼん・こぼん師匠の事を知らない人の割合が大きくなってきていた状態だったのだと思います。
またおぼん・こぼん師匠が所属している漫才協会にはたくさんの芸人が所属していますし、漫才協会以外にも多くの芸人がいますよね。
大きなお笑い芸人という括りの中で、年齢や性別にかかわらず全員が切磋琢磨し続ける関係だと思うのですが、その中で存在感を保ち続ける事はかなり難しい事だと思うんです。
実力があっても埋もれてしまった人をきっと見ていたのではないでしょうか。
だからこそ、おぼん・こぼんというコンビを埋もれさせないための手段を選ばなかった、もしかしたら選べなかったのかもしれませんね。
それくらい「おぼん・こぼん」という場所をおぼん師匠もこぼん師匠も必要としていたのだと思います。
つまり、いつしか不仲はおぼん・こぼん師匠の共通の目的になっていたのではないでしょうか。
おぼん・こぼんファイナルでの一幕「解散」から見える目的
おぼん・こぼん師匠シリーズの第3弾(おぼん・こぼんファイナル)での「解散」という言葉が飛び出した場面について何故その選択になってしまったのか、その理由について考えてみたいと思います。
これも詳しい事は分からないので水曜日のダウンタウンを見て知り得た事のみで考えてみたいと思います。
共通の目的「不仲」はおぼん・こぼん師匠が『おぼん・こぼん』というコンビの居場所を見つける為に選んだ手段だったのではないかと思っています。
ですがナイツや水曜日のダウンタウンという番組の働きかけで「不仲」という手段は選びにくくなりつつありましたよね。
おぼん・こぼんとしてコンビの居場所を「不仲」で見つけることが出来ないならコンビとして存在出来ない、だから「解散」という選択肢が出てきたのではないでしょうか。
100%想像ですが、大勢の人がおぼん・こぼん師匠の不仲解消のために動いているのに不仲解消への決心がなかなかつかない事へ自分たちへ「一体何をしているんだろう?」という気持ちも少なからずあったのかなと思います。
目的を果たして和解
水曜日のダウンタウンでおぼん・こぼん師匠の不仲を解消させようと放送の回数を重ねるごとに、おぼん・こぼん師匠の認知度は高まっていったと思います。
3回目の放送の中でおぼん師匠のこんな発言からも認知度の高まりが垣間見えます。
私自身もおぼん・こぼん師匠の事は水曜日のダウンタウンを見る以前は申し訳ないのですが全く知らなかったのに、こんな記事まで書いているほどに興味が湧いています。
水曜日のダウンタウンの最後の放送から1か月以上経っても、おぼん・こぼん師匠の話題がネットニュースで記事になったりしていますので、かなり世間にインパクトを残したことが伺えますよね。

これらの事からおぼん・こぼん師匠は自分たちが求めていた以上の注目を集めた事で目的を果たしたと感じ、この先は不仲でなくても注目を集められると判断して和解したのだと思います。
もちろん番組上ということもあるかもしれませんし、放送されていた部分以外でもナイツの必死の説得があったのかもしれませんし、裏の事は分かりません。
和解と言っているけれどこの先どうなるかは誰にもわかりません。
ただ今回のこのおぼん・こぼん師匠の不仲の一件で、こういうことは誰にでも起こりうることだという事を忘れてはいけないと思いました。
マズローの欲求5段階説でも考えてみる
マズローの欲求5段階説
マズローの欲求5段階説で今回のおぼん・こぼん師匠の不仲と解消について考えてみたいと思います。
おぼん・こぼん師匠は3つ目の社会欲求を求めていたのではないかと思います。最初は4つ目の承認欲求の低位の方かなと考えていたのですが、漫才協会に所属しているしコンビも組んでいるので社会的欲求は満たされているのではないかと最初は考えていたのですが、不仲コンビだったのに本当に安心感を得られていたのかな?と思うとそこが引っかかっています。
不仲でいる事で得られることがあったとしても、それが安心感になるのか?はちょっと疑問が湧いてきました。
むしろ安心感が無い事は認識しつつも、得られている事があるから安心感を持てない事を見てみぬふりをしてしまっていたと考える方が自然なのかなと思います。
でも水曜日のダウンタウンをきっかけに安心感を得られないままの10年間を繰り返すよりも、不仲を解消して社会的欲求を満たす事を選んだのではないでしょうか。
おぼん・こぼん師匠から私たちが学べる事
おぼん・こぼん師匠の不仲についてアドラー心理学の観点から色々と考察をしてみました。
テレビで知り得た情報のみで考察しているので見当違いな部分もあると思いますし、もしかしたら見当違いばかりかもしれませんが、私が思ったことをまとめてみました。
こういう風に自分の考えをまとめるのは久しぶりなので、大分苦労しましたが人の行動ばかりを見ていると本質が分からないこともあるよなと改めて思いました。
無意識の行動に本音が出ることもあるので行動に注目する事も大切だと思いますが偏った見方で自分も含めて人を判断する事の怖さも実感しました。
アドラー心理学を用いずにおぼん・こぼん師匠の不仲を見ていたら、「年齢と共に柔軟性が無くなって行くんだな~」としか見れなかったと思います。
自分ごとでは無いですし、私もおぼん・こぼん師匠と同じくらいの年齢になれば同じようになるんだろう、と深く考えることもしなかったかもしれません。
気になったひとつの事に自分が納得できるまで考えを巡らせることも楽しいものですね。
あと、おぼん・こぼん師匠の不仲について考えていてもう一つ思ったことが「生きていくうえで大切な事はバランスの良さ」という事です。
このバランスの良さは経験が活かされる部分もあれば、新しいものを取り入れていく探求心や向上心なんかもあると思いました。
これまで経験していない事や苦手だと思っていた人に向き合ってみたり、自分の考えが間違っているのかもしれないと疑ってみたり、自分とは反対の考え方で物事をあえて見ることをしてみるのも良いかも知れないと思いました。
今の流行に理解が出来ないと思ったりすることもあるのですが、そういうところから時代の流れをくむことだって可能だと気づきました。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
こんな考えもあるよ!という方がいたらコメントを貰えたら嬉しいです。